第2回 倫理的(エシカル)消費は「動揺」する【利他性マーケティング】

利他性マーケティング
2016/1/15

利他性マーケティング~第2回 倫理的(エシカル)消費は「動揺」する

利他性マーケティング~第2回 倫理的(エシカル)消費は「動揺」する

「利他性マーケティング」とは

利他性とは、自分がコストを負担して他者に利益を与える心理的傾向です。
近年、「振り込め詐欺」「やりがい搾取」など、利他性につけこんだ被害が後をたちません。
このような現象からも分かる通り、ヒトは思わず他者を助けてしまう非合理な側面を持っています。
ヒトの利他的な側面を洞察し、それに適応するマーケティング戦略を立案・ 実行する考え方が「利他性マーケティング」です。

 前回は「利他性マーケティング」という考え方についてご紹介しました。クロスラボでは利他性マーケティングを「消費者行動における利他性を理解し、それに対応するマーケティング戦略を立案、実行すること」と定義しています

 これは、人間の利他的な性質について心理学的な研究を紐解くと普段わたしたちが気づかないような気づきがあるため、利他性の見方から「消費」を考えてみることで現状を打開するマーケティングへの示唆を提供できるのではないかという問題意識に基づいています。

 もちろんその根底には、マーケティングのポリシーである「創造的適応(creative adaptation)」、つまりただ単に消費者のいいなりになるのではなく積極的に適応し「消費者需要のあり方を変化させること」(石原 1982)を目論むという意味を含んでいることはいうまでもありません。

 連載コラム「利他性マーケティング」の第二回目となる今回は現在注目を集める「倫理的(エシカル)消費」について取り上げてみたいと思います。

倫理的(エシカル)消費とは何か

 近年、倫理的消費という言葉を様々なところで見かけるようになりました。例えば2015年は、消費者庁が『「倫理的消費」調査研究会』を立ち上げたり、この用語についての社説が日本経済新聞に掲載されたりするなど様々な組織体やメディア等で議論が展開される一年となりました。


 論者によって様々な定義がありますが、筆者は「社会やコミュニティに共有された規範に即し、他者や社会の利益に配慮した消費行動」という意味合いで倫理的消費という言葉を用いています。
 消費というものは当然エゴセントリック(自己の利益志向的)な行為ですが、消費者のソシオトロピック(社会や他者の利益志向的)な認識や行動へのシフトが起こりつつあり、その行動原理は所属する社会やコミュニティ内で共有されている何らかの規範に即しているという解釈です。

 田中(2015)によれば、倫理的消費はここ20~30年の間で形を変えながら次第に盛り上がりを見せてきた概念であり、その理由として、(1)環境問題など地球規模で対処すべき問題の発生、(2)新自由主義(ネオリベラリズム)の席巻、(3)南北問題の未解決、(4)過剰な消費のライフスタイルに変わる健康や環境に配慮したライフスタイルの台頭、などが挙げられるといいます。

 

 具体的に倫理的消費は表1のように分類されます(田中 2015)。倫理的消費は社会や環境などにとって「よい」、と認識される消費への肯定的な反応だけではなくボイコット等の否定的な反応も含んだ包括的な概念であるといえます。こうした倫理に目覚めた消費者を満足させるには企業が消費者の倫理的動機を満足させる活動を企画・実行する必要があるといえます(田中 2015)。

【表1 倫理的消費の分類】

倫理的消費の分類

出所:田中(2015)。

「倫理」の意味から消費を考えてみる

 「倫理」という言葉には難解で捉えどころのないイメージがつきまとう、というのも事実でしょう。そこで初心に戻り「倫理」という言葉の意味について哲学者の和辻哲郎による説明をもとに考えてみましょう。

 和辻(2007) によると倫理という言葉のうち「倫」の語源は「なかま」であったといいます。この「なかま」の意味は単に人を複数的にみただけではなく、人と人との関係とこの関係に規定された人々を意味しています。ここにまず「倫」の共同態としての意味が躍り出ます。さらに共同態には風習のような「きまり」や「かた」といった秩序(=道、道義)が存在します。人間の共同態は、秩序が根底にあるからこそ可能となるのです。つまり「倫」とは人間共同態の存在根底である秩序、道、道義を意味します。

 そして、倫理のうち「理」というのは「ことわり」 「すじ道」の意味、つまり「道義」の意味になりますので、理とは倫の言いなおしに過ぎず倫を強調するのみです。したがって倫理とは「人間共同態の根底である秩序や道義」であるということになります。

 しかしここで注意しなければならないのは「個人的・主観的な道徳意識」を倫理という言葉によって現すのは不適当だという点です。
 和辻は以下のように言います。(1)倫理とは人間共同態に関するものである以上、共同態を捨象した個人的意識は倫理とはいえない、また、(2)倫理は人間共同態の根底に関するものであるため、道徳的判断はこの地盤の上で可能になるがために倫理と主観的な道徳意識とは区別すべき、ということになります。

 このような見方から倫理的消費を捉えてみると、

(1)消費を人間共同態に関わるものとして捉える、
(2)消費を人間共同態の根底にある秩序・道義に即したものとして捉える、

という2つ の視点が立ち現われてきます。これは自分の利益ではなく、

(1)他者や社会の利益を意識した消費であり、さらに、
(2)社会やコミュニティの根底にあるルール(規範)に即した消費である、

 というように消費の文脈に置き換えることができるでしょう。このように考えることで、先ほど提示した「社会やコミュニティに共有された規範に即し、他者や社会の利益に配慮した消費行動」という筆者の倫理的消費の定義に行き着く次第です。

「倫理」の自明性

 さらに「倫理とは何か」について探究するのが「倫理学」だとしましょう。応用倫理学者の加藤尚武によると、コミュニティに存在した倫理(規範や道義)は、その自明性が動揺すると、反省され自覚されることによってはっきりと規範や道義として捉えられることになり、「倫理学」が探求する対象になるといいます(加藤 2005)。


 つまり、「倫理とは何か」が自明であれば、誰もそれが倫理かどうかをいちいち確認などしないということです。「倫理とは何か」が自明でなければこそ、何が倫理なのかを確認する必要が出てくることになり、それを倫理学と呼ぶわけです。このように倫理と倫理学は、「自明性」の間でダイナミックに揺らぐといえます(加藤 2005)。ちなみに、倫理も倫理学も語源は同じ「ethics」です。

 この見方にしたがうと、わざわざ「倫理的」消費などと言われ出しているという現状は、すなわち、消費における倫理の自明性が動揺してきている、ということになるのかもしれません。

 新自由主義にもとづくあらゆる規制の撤廃や小さな政府への志向、グローバリズムによる自由貿易の促進といった動きが世界を席巻し、リーマンショック以降も世の中は「自己責任」の名のもと市場原理主義的な雰囲気に包まれています。国内に目を向けてみれば、所得格差の拡大、貧困率の上昇、児童虐待の増加、非正規雇用の増加、自殺者の増加、下流老人、テロへの恐怖の増大、・・・など社会がキナ臭さに覆われています。

 社会学者の宮台真司は、既存のコミュニティが解体され関係の流動性が上昇しそれに対する合理的適応の結果として、人間同士のコミットメントが脱落してきていると指摘します。経済的なつまずきがあっても家族や地域などコミュニティによる相互扶助による個人支援が薄っぺらくなり、社会が「包摂性」を失うことで経済が回らなくなると社会も回らなくなり個人が直撃されるようになるわけです(宮台 2008)。

 このままコミュニティが壊れ社会の包摂性が失われていくとなれば、先にみたように「倫理の自明性が失われると倫理学が必要となってくる」ようにして、消費においても、単に倫理的消費と呼ぶのではなく倫理的消費「学」のような呼称が生まれてくるのかもしれません。

低関与な「倫理的(エシカル)消費」

 社会の包摂性が失われる状況のもと、倫理の自明性が失われてくると、「このままではマズいのではないか」というような現状や将来への不安、または漠然とした憂鬱が意識レベルにせよ非意識レベルにせよ人々の間に広がり始めるのは確かでしょう。そのような環境下で生活をしていると消費においても倫理性が自覚されてくるという説明の仕方が可能かもしれません。


 しかし誰もが哲学者や倫理学者のように「倫理とは何か」を真剣に考えているわけではないと思われます。とりわけ消費においてもそうでしょう。
 意識調査を行うと当然ながら、一定の層では倫理的消費に類する行為への関与が高いと出ますが、大多数の誰でもが関心がないからといってまったく関心がないというようにも読めません。

 それでも倫理的消費への自覚が全体として高まりつつあるとすれば、こう考えることはできないでしょうか。社会にとって「よい」ことにつながる消費に対して「何となく」「ほどほどに」「ほのかに」コミットする人が増えているのではないか。これを「低関与型の倫理的消費」と呼べるかもしれません(良くいえば「中関与」でしょうか)。

 倫理的消費の熱烈な支持者が今後、急激かつ爆発的に増加するとは考えにくいので、ビジネスとして考えた場合、熱烈な支持者だけを対象として採算が合うのかどうかという点は検討の余地があるでしょう。
 売り手も買い手もお互いが小規模なままで「高度な倫理性の交換」を行うということも重要だとは思われますが、より社会全体への拡がりを考えると、低関与型の倫理的消費を行う層のすそ野は広そうですので、この層にどう対応していくかについての研究が今後求められてくるのかもしれません。

 ひとつの方向性として、低関与型の倫理的消費を行う層の実態に迫るためには、普段の意識的・行動的な傾向性を探るだけではなく、具体的状況に消費者が直面した際の心理的なメカニズム(消費者の頭の中で行われる情報処理)についての分析も組み合わせて検討することが欠かせないでしょう。
 例えば、状況や対象によって、よく考えて消費したり(システマティック的)、直感に従って消費したりする(ヒューリスティックス的)、というような認知資源の割り当てがどのようになされているのか、また、対象特定的な心の動き(心理プロセス)や思考のパターンをつかむことで、具体的な対応策への示唆が得られるのではないかと考えられます。

 ここに利他性の心理メカニズムの応用可能性があると考えられます。消費を通じて他者や社会の利益を高める行為は利他的行動と捉えることができるからです。
 このような観点から、このたび『日経消費インサイト』2016年1月号に「倫理的消費の購買状況対応モデル――価値類似性、共感、モラルによる分析」という研究レポートを寄稿させていただきましたので、ご興味のある方はぜひご一読いただけると幸甚に存じます。購買の状況に即した消費者の心理プロセスをモデル化した「状況対応モデル」の紹介と分析事例を掲載しています。

 

参考文献

石原武政(1982)『マーケティング競争の構造』千倉書房。
加藤尚武(2005)『環境と倫理[新版]』有斐閣。
水師裕(2016)「倫理的消費の購買状況対応モデル――価値類似性、共感、モラルによる分析」
『日経消費インサイト』(34),48‐51。
田中洋(2015)『消費者行動論』中央経済社。
宮台真司(2009)『日本の難点』幻冬舎。
和辻哲郎(2007)『人間の学としての倫理学』岩波文庫。

執筆者 (株)クロス・マーケティンググループ クロスラボ 主席研究員 水師 裕 (すいし ゆたか)

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