第11回 感情は敵なのか、味方なのか、それとも?【利他性マーケティング】

利他性マーケティング
2016/9/30

利他性マーケティング~第11回 感情は敵なのか、味方なのか、それとも?

利他性マーケティング~第11回 感情は敵なのか、味方なのか、それとも?

「利他性マーケティング」とは

利他性とは、自分がコストを負担して他者に利益を与える心理的傾向です。
近年、「振り込め詐欺」「やりがい搾取」など、利他性につけこんだ被害が後をたちません。
このような現象からも分かる通り、ヒトは思わず他者を助けてしまう非合理な側面を持っています。
ヒトの利他的な側面を洞察し、それに適応するマーケティング戦略を立案・ 実行する考え方が「利他性マーケティング」です。

企業と消費者の「共忙関係」

 成熟を迎えるニッポン消費社会。これまでの様々な消費経験を通じて、消費者は賢くなったのでしょうか。賢くなった側面もあると思うものの、バカになったとまではいいませんが「賢くなくなった」側面もまたあるのではないでしょうか。

 その根拠のひとつは、あまりにも忙しすぎて消費者に時間や心の余裕がなくなっている点です。これにより、「考える」ということが困難になっているのではないかという仮説です。とりわけこれは、ノルマに駆り立てられる働きざかりの労働者、仕事をもつ子育て世代、奨学金(借金)を抱えてバイトに忙殺される大学生・・・などにいえることではあります。しかし彼ら彼女らは、消費ということを考えるとかなりのボリュームゾーンを占め、企業のターゲットとしては無視できない人たちです。そして、もっといえば、彼ら彼女らは考える余裕がないために、消費や投票などあらゆる生活行動を脊髄反射的に処理している気配があります。感情がむき出しとなっているのが、現代ニッポンの消費社会というといいすぎでしょうか。

 「低関与消費」という言葉がマーケティングシーンに定着してずいぶん時間がたったように感じます。低関与消費とは、たいした思い入れもなく、深く考えることもなく脊髄反射的に消費する行動のことです。もちろんこれはすべての商品カテゴリーに適用はできませんが。例えば、日用品などのコモディティ商品であるほど、その傾向は顕著でしょう。改めていうまでもなく、このような「考える余裕のない」消費者に対してどのように対応するかという問題は、現代的なマーケティング実務の悩みといえます。考えない、考えられない、つまり結果として感情に流されるままに刹那的に購買意思決定をする消費者。それに対応するには企業側も短サイクルで「刺激-反応」的な方策を打たざるをえません。これを、企業と消費者の「共忙関係」と呼べるのかもしれません。


企業と消費者の「共忙関係」画像

「理性と感情」というパラダイム

 ここで、「考える」と「考えない」の関係を、「理性」と「感情」というように置き換えてみましょう。このような対応関係は、古代ギリシア哲学にも存在する古典的な見方です。現代ニッポン消費社会では、一般的にどこか理性が一段上のような存在で、感情が一段下のような位置にあるように思われませんか。暴走する感情にかられて浪費するのを理性で押さえつけるというイメージです(理性による感情のコントロール)。

 しかしマーケティング実務者にもなじみの深い行動経済学の知見をひもとくと、必ずしも理性が感情をコントロールしているのではなく、むしろ理性が感情に従属していると思われる結果が実証研究から提示されています。こうした見方から導かれるのは、ヒトは何事においても理性で損得を計算して合理的に振舞えるということではなく、むしろもっと非合理な部分を多く有しているという人間観です。こうした人間観の影響からか、近年、マーケティングの現場でも感情への見直しが進んでいることが実感されます。


「理性と感情」というパラダイム画像

感情のパラドックス

 生物進化的な見方には、感情とは野生環境での生存に有利に働くよう生物が進化の過程で獲得したシステムである、というものがあります(戸田 2007)。「恐れ」という感情を例にとりましょう。野生の環境で生活していたヒトの祖先は、ライオンに襲われたら「恐れ」を抱き逃走したことでしょう。ここで重要なのは、「ライオンは恐ろしい」という判断が感情によって瞬時に行われる点です。そう判断されれば、瞬時に行動(逃走)に移ることができます。一方で、「この状況をどう捉えればよいだろうか・・・」などといった理性的な思考はこの場合生存にとってまったくの邪魔者でしかありません。これですと考えているうちにその場でライオンに食べられてしまうでしょうから。このように、ライオンのシルエットのような何らかの「特徴」をみただけで、瞬時に「恐ろしい」と感じるような自動処理(感情)が働くことは、捕食される可能性のある生物にとって生存に有利な機能であるといえます。

 しかしながら、こうした「恐れ」のような感情は、文明化したニッポン消費社会のような環境では誤作動を起こしえます。数百万年という長い時間をかけてヒトに備わった感情というシステムに対し、消費社会という環境変化はせいぜいここ数百年のことだからです。例えば、マルチ商法などの会合であおられるとなぜか気分が高揚し思わず買ってしまう、などというような事態が生じえます。狩猟時代には目の前にある獲物は非常に希少であったでしょうから、マルチ商法の会場であおられると希少な獲物を前にしたときの感情が自動的に呼び覚まされるのかもしれません。これは、冷静に熟慮しなくてはならない状況においても、その反対に自動処理としての感情が誤作動を起こすケースです。このように、野生環境では外的脅威に襲われる際に有用だった感情システムが、複雑な文明環境で不適応を起こす事態を「感情のパラドックス」といいます。


感情のパラドックス画像

利他性のビジネスチャンス

 利他的行動においても、感情の生物進化的基盤は欠かせないものです。例えば感謝されることに対する「うれしい」というような感情は、助けたり助けられたりする協力関係をより強化するでしょう。実際に利他的行動をすると脳の中の「報酬系」と呼ばれる神経回路が活性化するという研究結果が報告されており、利他的行動が快感をともなう可能性が示唆されます。利他的行動(協力行動)が一定の状況で生じる集団であるほど集団として生存しやすいと考えると、先に挙げたライオンと恐れの感情との関係のように、利他的行動が気持ちよい感情を自動的に生起させる機能が、長い年月をかけてヒトに備わった可能性が考えられるのです。

 しかし利他的行動(自分で損をして相手に得を与える行動)は、必ずしも合理的な行動とはいえないでしょう。ゆくゆくはみんなのためになること(利他)であっても、その時点では利己的に行動した方が、自分の得になるからです。便利で快適な商品の消費は、自己利益をもたらしますが、その商品が環境破壊や児童労働を強いていたらどうでしょうか。そう簡単に自己利益を捨てて、環境や児童のために商品の消費をやめられるでしょうか。しかし利他的行動に快楽が埋め込まれていることを考えると、非合理的な利他的行動がなぜ生起するかが説明できるでしょう。

 多忙な生活環境の中で考える余裕を失い、感情がダイレクトに発露しやすい状況におかれている一定の消費者層。彼ら彼女らの傾向として、おそらく利他性に関する感情についても作動しやすくなっているのではないでしょうか。わが子や孫可愛さにつけこむ振り込め詐欺や、やりがいをぶら下げて労働者を搾取するブラック企業の「やりがい搾取」のように、ヒトの利他性の感情側面(自動処理側面)につけこんだ行為があとをたちません。悪用は禁物ですが、思わず「人の為に」と動いてしまうのがヒトの性というもの。こうした思わず利他的行動をとってしまう消費者のツボを見極めてアプローチする方向に、「成熟ニッポン消費社会」特有のビジネスチャンスの可能性が存在するといえるでしょう。

 

参考文献

・戸田正直(2007)『感情:人を動かしている適応プログラム(新装版)』東京大学出版会。


(株)クロス・マーケティンググループ クロスラボ 主席研究員 水師 裕 (すいし ゆたか)

このコラムを見た方へのオススメ