温故知新 ~ 昭和のリサーチ | リサーチ・市場調査・マーケティング

マーケティングコラム
2014/5/12

温故知新 ~ 昭和のリサーチ

温故知新 ~ 昭和のリサーチ

昭和のマーケティングリサーチ

今年もゴールデンウィークの只中、昭和の日が巡ってまいりました。昭和天皇のご崩御により、1989年(平成元年)より4月29日は「天皇誕生日」から「みどりの日」となり、2007年(平成19年)から再び日本の激動の「昭和」を偲ぶ日として、「昭和の日」になりました。

昭和の時代のマーケティングリサーチを知る人も徐々に少なくなってきています。日本が日の出の勢いで世界を席巻し始めた1980年代。日本のマーケティングリサーチも一気に隆盛を極めていきます。当時を知る50代以上のリサーチャーにとっては、今の中国や東南アジア諸国の経済発展に伴うマーケティング&リサーチ・プロジェクトは自分たちの青春時代を振り返るような感慨もあるのではないかと思います。

今回、コラムへの出稿依頼を受けた時に先ず頭に浮かんだのが、昭和の日本経済を支えてきたマーケティングリサーチャーたちの努力と奮闘でした。彼らが日々のチャレンジの中で体系化し培ってきたリサーチノウハウや考え方には、沸騰し始めたアジアの時代を支えるヒントが多く含まれていると考えています。そこで、日本企業のアジア進出を陰で支えるマーケティングリサーチャーにエールを送る意味からも、シリーズで昭和の時代のマーケティングリサーチを振り返ってみたいと思います。

昭和と平成の違い

リサーチャーのスキルや資質として大切なこと、「統計知識」「一般常識」「好奇心」「探究心」「真摯な態度」、そして「勤勉」、このような要素はいつの時代にも変わらずリサーチャーに求められるものなのでしょう。ところが、昭和の時代のリサーチャーには、今の時代では特に求められない次の様な資質も重要でした。


それは、「器用な手先」「ペン字スキル」「漢字知識」「珠算・暗算スキル」「重たいものを運ぶ体力」「口述筆記速度」「紙をめくるスピード」「綺麗な字」、そして、ユニークなのは「汗かきでないこと」でした。当時の報告書作成に不可欠だった、一連のデバイス=道具が以下の写真に載っています。

電卓、定規、方眼紙、カッターナイフ、スクリーントーン、ここには載っていませんが、コンパス、分度器も円グラフ作りには欠かせませんでしたし、切り貼りの跡を消すための修正液やメンディングテープも必需品でした。2000年以降にマーケティングリサーチ業界に入られた方には皆目見当がつかないかもしれませんね。

デバイスの進化

昭和と平成の大きな違いのひとつにデバイスの進化があります。今やグラフ作成は自動化の時代。グラフ作成ソフトに調査結果の数字をコピペするだけで一瞬のうちに美しいグラフが仕上がります。後は数字の流し込みが間違っていないかをチェックするだけ報告書の8割は完成です。

郵送、訪問、街頭、会場、どの様な調査手法を駆使しても、すべては調査票に記入された対象者一人一人の原票をひとつひとつ確認した上で、「正の字」手集計がベースでした。なぜならば、コンピューターを利用した集計は、高額な設備投資を伴うにも拘らず、手間がかかり、かつ、特殊な専門知識が不可欠な時代でしたから。
「正の字」集計をする場合、初めに軸となる年齢や性別ごとに原票を山分け(山ほどあったのですよ!)し、それぞれの山の票数をカウントします。設問ごとにそれぞれ正の字集計をして、常に合計が票数と合うかどうかを確認しながら進めていくのです。こうした集計が終わると電卓をたたきながら、百分率に直していきます。シングルアンサーであれば、常に100%になるかどうかを検算します。余裕があれば機械を使うこともありましたが、集計結果も手書きの時代でした。

集計が上がれば、グラフ作成です。方眼紙の上に目盛をベースに定規で棒グラフを書いていきます。グラフが出来上がったら、グラフの中に数字を手書き、又はタイプライターで打ち込んでいきます。その後、スクリーントーンを貼り付けて、数字の部分をカッターできれいに切り抜きます。途中の工程をひとつでも誤ると後からの修正作業がとてつもなく大変になります。ゆえに常に不整合がないかを何度も確認するのです。報告書の作成期間はほぼ2週間。今では1日作業ですが、手間暇かけて手作業で作るグラフ。それは、それは、大変な時間がかかります。コメントにしても、タイプもワープロもありませんから、方眼紙の5ミリ角の中に一文字ずつ書き入れていきます。先輩リサーチャーが口述するコメントをきれいに升目に埋めていくのです。一晩中、先輩が燻らすたばこの煙の中で書き続けることもしばしばありました。字が下手だと、読んでもらえませんし、汗っかきの人だと、どんどん方眼紙が黒ずんでいってしまい、上司、先輩から怒られました。

報告書ができたら、プレゼンテーションの準備です。当然、昭和の時代にはパワーポイントなど便利なツールもありませんでした。描いた資料はOHPフィルム(透明なフィルム)に焼き付け転写して、OHP(オーバーヘッドプロジェクタークター:透過原稿投影装置)なる機械で投射しました。OHPフィルムへの焼き付けも80年代半ば以降はコピーマシンでできるようにこそなりましたが、それ以前は特別なマシンでしか準備できず、OHPフィルムへの焼き付け作業のために報告会の2日前までには報告書の完璧な準備が必要でした。自分のPCを持ち込んで、直前まで修正可能な今の時代とは雲泥の差です。今のようにコピペで資料を使いまわすことも勿論できません。なぜならば、紙ベースのアナログ時代のコピーは劣化するものだったからです。コピーを重ねるうちに、不鮮明になり、切り貼りした箇所は一目瞭然で見破られてしまいました。

便利さと引き換えに失ったもの

そういう時代を経験した立場からすると、今のように一瞬にしてグラフ作成ができてしまう便利さは夢のようですが、この便利さと引き換えに失われたものもあるように思います。じっくりひとつひとつの工程に時間をかけて報告書を作成していた昭和の時代、リサーチャーはその工程の中で時間をかけてデータと対峙し、なぜこのような結果になるのかを考え、グラフが出来上がるころには様々な仮説が頭の中に構築されていたのです。数表、グラフを書いているうちに、内容がどんどん頭に入っていきます。いたずらに時間をかけているようで、実はデータと対峙し、考える時間を紡いでいたのかもしれません。当然、作り直しの場合は、一から手作業が必要ですので、手を付ける前にもじっくりデータを読み込むことと、緻密な報告書作成企画を練る重要なプロセスがあったことも付け加えておきます。

今回は調査会社の基本である報告書に関わる話題を届けましたが、次回以降はPOS時代前の流通データの把握方法、インターネットリサーチ時代以前の昭和の実査手法、昭和の海外調査についてご紹介します。

株式会社ユーティル 代表取締役社長 打田 光代

東京リサーチコンサルタント取締役を経て1993年に(株)ユーティルを設立。国内外の定性/定量の消費者調査プログラム、販売店調査プロジェクトを開発、中近東家電販売動向パネル、消費者日記調査などいくつものデータベース事業も立ち上げる。マーケティングリサーチ歴は33年、自身でも1,000件以上のグループインタビューのモデレーターを経験、生活者のインサイトを探り出す第一人者でもある。

100%出資子会社、エンバイロセルジャパン株式会社の代表取締役をつとめると共に、1993年より、ESOMAR (European Society for Opinion and Marketing Research)の正会員。 

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